山行概要 |
(1)初日
大分から飛行機で羽田へ。特急あずさで新宿出発。新宿から八王子までは大雨。
この先天気は大丈夫か?出発前の天気予報では、台風もきており、長野地方の週間予報も
晴れたり曇ったりのハッキリしない天気。もちろん3000mの山の天気なんて、
女の気持と同じで予想しようもない。
甲府を過ぎる頃から、空が少しづつ明るくなってきて諏訪を過ぎる頃には、青空に
でっかい入道雲まであらわれてきた。こんな大きな入道雲を近くでゆっくり見るのは、
毎日海で泳ぎ疲れたら背泳ぎで、空を見ていた、小学生時代の夏休み以来か?
旅に出るとゆったりとした気分になるのか、目に映るすべてのものに対して情感が
豊かになる感じだ。
そうこうしているうちに、松本駅に到着。翌朝乗る予定の松本電鉄のプラットフォーム
と始発の時間を駅で再確認した。というのも、通常始発は、6時からだが、明日から
4時45分発が追加になっているので、間違いないか駅員に確認した。
駅前には、槍ヶ岳に初登頂したといわれる播隆上人(ばんりゅうしょうにん)の
銅像がある。そこの脇をぬけ5分のところに宿があり、事前に宅急便で送付しておいた
荷物をうけとり、さっそく”持ち物リスト”をもとに、ザックに1個1個優先度をつけ
荷物をいれていく。ほぼ40?のザックがパンパンになった。まだ水は載せてない状態だが
10kgぐらいの重さか?
しばらくしたら、福岡からの田山さんんも合流し、近くの居酒屋で夕食。
ここのみそホルモン焼きと塩ホルモン焼きは絶品。翌日からの山行を乗り切る体力を
つけるために、大いに食べて飲んだ。
(2)2日目
上高地から涸沢ヒュッテへのメインルートは、距離にして15キロ、時間は6時間ほどかかる。
まず、上高地バスターミナルから河童橋に向かう。橋を左手に見送り、梓川の川岸を小さな
上り下りを繰り返しながら「明神《、「徳沢《を経て「横尾《に向かう。
「横尾《は槍ヶ岳、穂高岳、蝶ガ岳への分岐点になっている。横尾山荘前の横尾大橋を渡り、
横尾谷に入る。左手には屏風岩の大岩壁が迫力満点。やがて、河原を離れ、横尾尾根の山腹を登り、
屏風岩や北穂高岳の山頂を望みながら登ると、本谷橋に着く。
(ここは格好の休憩ポイント!) 本谷橋からは本格的な登りが始まる。屏風岩の麓を周り込む
ように登っていくと間もなく、穂高の山々に囲まれた涸沢カールが顔を見せる。
①松本~新島々
朝4時に田山さんからの電話で目がさめた。すぐに身支度しコンビニで、本日の昼食用
おにぎりをgetし、松本駅へ。 松本電鉄のプラットホームには、電車がまっており、
すぐに乗り込む。人はまばらだったが、新宿からの特急あずさが到着すると重いザックを
背負った、おじさん・おばさんがわんさか乗り込んできて2両編成の電車は登山客で、
一杯になった。
4時45分に定刻で、松本駅出発。最初は曇っていたが明るくなるにつれ
青空が雲の合間にみえるようになった。5時8分に新島々到着。
②新島々~上高地
ここでバスに乗換。ほとんど全員がバスに乗ったようだ。バス3台に分乗。無理に押し
込めることはせずに、座れなければ別のバスを出すという感じ。
5:15出発。梓川と東京電力のダム(揚水発電所)をいくつか見ながら細い道をバスは
どんどん進む。天気もどんどん良くなってくる。長いトンネルを抜けると、
左上に赤茶けた活火山の焼岳がみえ、白樺林をすぎると左手に大正池があらわれ何人かの
登山客がおりた。山にいかずに散策だけするならここから歩くのもいいだろう!
ほぼ予定通り、6時15分上高地バスセンターに到着した。
③上高地~横尾
上高地バスセンターでまずは朝食をとり、用をたし、家族に無事出発する旨メールを送り、
7時に快晴の青空のもと出発。本当に俺って晴れ男。 (雨の多い屋久島でも7日間晴れだった)
歩き始めて5分で河童橋がみえてきた。河童橋と穂高をバックに記念撮影。
どこを撮っても絵になる上高地。ここは通常の観光客もいるので、河童橋の上は人だらけ。
穂高方面は、穂高連峰が壮大なパノラマを描いている。 今回の登山計画が無事終わることを
祈りながら河童橋をあとにした。
そこから梓川、穂高を左手に見ながらの平坦なハイキングコースとなり周辺は壮大な
穂高連峰の美しい景観をバックにハイキングを楽しんだ。何度も立ち止まり写真をとった。
本当に飽きない景色だ。ほぼ1時間毎に、休憩ポイント(8時:明神館、9時:徳沢)が
あり計画どおり、穂高と槍ヶ岳の分岐点 横尾に10時に到着。
ここまで、11kmあるが、平坦で、道の上も落葉樹が覆っているのであまり暑さも感ぜず
500mLのペットボトルを半分ぐらいしか飲まなかった。
今夜の宿泊地は、涸沢ヒュッテであり、穂高連峰方面の上りの登山道が本格的にはじまる。
それに備え横尾で2Lの水を調達した。
④横尾~涸沢ヒュッテ
横尾で十分休憩をとり、横尾大橋をわたり出発。左手に梓川をみながらの登りが始まった。
周りは緑の木々にかこまれ快適だが、真っ青な空から容赦ない日差しがキツイ。
ここから今回購入したダブルストックを取り出し使用してみる。片手のみのストックに比べ
リズムがとれて歩きやすく、バランスもとりやすい。 しかし暑い。あっというまに500mLの
ペットボトルが空いて、横尾で追加した水をペットボトルに移す。左手に、前穂高岳のゴジラの
背中の最下部である垂直の屏風岩が豪快に見えてきた。峠のような場所の針葉樹の合間から、
北穂高岳だろうか雪渓をまとった山が見えてきた。
11時半頃、本谷橋到着。ざっと50人ぐらいに登山者が休憩していた。
我々も、ここで昼食のため休憩をとる。川の水を触ると、切れるような冷たさにビックリ。
雪解け水が流れ込んでいるので当然といえば当然か! この水で、大汗をかいた頭、顔、首、
体を拭く・・・というよりは、水をかぶったという表現があたりかな。
12時半、本谷橋出発。橋をわたったので、梓川が右手にかわった。
ここからが さらに登りがきつくなり、15分毎に休憩。休憩のたびに周りの景色の
写真・ビデオをとる。
暑いが時折、山のほうから吹き降ろす風、あるいは谷のほうから吹き上がる風が冷たくて、
ものすごく気持ち良い。
北穂高岳と南岳の沢と別れ、大きく左に登山道はまがっていく。
歩いて1時間ほどで、涸沢が見えてきた。その前に雪渓が立ちはだかっている。
涸沢ヒュッテまで ざっと500mぐらいか?
雪渓の中を、ゆっくり登っていく。人の踏み跡が階段状になっているので
その跡をたどればアイゼンがなくても登れるし、ダブルストックがあるので快適に登れた。
涸沢ヒュッテの直前に雪に埋まった、黄色の花をつけた木があった。
まさか“まんさく“じゃないよなと思いながらヒュッテに14時15分到着。
⑤涸沢ヒュッテ
涸沢ヒユッテの城壁の石積みが全て完成したのは、平成10年。
ヒュッテの展望テラスから眺める穂高連峰は、まさに、感嘆あふれる驚愕の世界である。
3000m級の吊峰、4座に囲まれた近代アルピニズム発祥の地、”穂高涸沢”。
穂高連峰を仰ぐ最高のビューポイント。太古の世紀を越え、氷河が造りあげた、
涸沢カールのモレーンの上に建つ。(涸沢ヒュッテのCMより)
【カール】Kar{G} けんこく(圏谷):氷河の侵食で円形(U字型)に窪んだ谷。
山頂直下の斜面が、まるで巨大なスプーンででもえぐられたかのように窪んでいる地形。
【モレーン】moraine{E,F} たいせき【堆石】せきてい【石提】:氷河に運ばれてきた岩・石・砂
などのかたまり、溜まったもの。
涸沢ヒユッテに到着後、チェックイン(夕食、朝食、弁当がついて9500円)をして、
部屋に荷物を置き(4個のフトン/区画が敷いてあり、そこに6人で寝る)、
展望テラスで生ビールで乾杯。疲れなのか、空気が薄いせいか(2300m)若干頭痛がするが、
ビールの美味さと穂高連峰の景色のすばらしさで痛さはふきとんだ!
しかし、ここからの穂高連峰の景色は、すばらしい。驚愕。キレイ・・・・・
なんと形容していいのかわからない。日本の景色ではありえない。いったことはないが、
ヨーロッパアルプスもこんな感じか? 雑誌、写真集等で何度もみてきたが、現実の美しさは
想像以上だった。
まわりの登山客は歓声をあげるでもなく、アルコールを時々
口に運ぶのみで あとはひたすら景色を見てるのみ。当然ここまでくる人の中に
チャラチャラした人はいないか?本当に大人の時間を堪能できた。
展望テラスに90分ぐらいいただろうか?生ビール2杯とおでんを食べて寒くなってきたので、
夕食まで部屋で休憩をとった。
涸沢ヒユッテには、パノラマ売店、食事場所、トイレ(和・洋式):
(ただし、トイレットペーパは別のゴミ箱に入れる。)があり、風呂に入れないこと以外、
わりと快適である。水も宿泊客には穂高のおいしい湧水を無料でいただける。
携帯電話は電波上良のためつかえないが、カード式衛星電話で通話可能。久しぶりにプリペイド
電話カードで家族に無事初日を終えた旨連絡をした。
あと電気も十分あり、外も夜中でも明るいくらい点いていて、星を見るのにジャマナ
くらいだった。
夕食は、17時からで、ゴハン、ホウレンソウの味噌汁、ハンバーグと思っていた以上に豪華?
なものがでてきた。(ゴハン、味噌汁は、おかわり自由)
夕食後、まだ明るいので、まわりを散策。散策といっても雪渓だらけなので、
ヒュッテのまわりを歩いただけだが・・・。
ヒュッテの上方には、一回り小さい涸沢小屋が見える。その間に テント場があり、
ザット50張りぐらいの色とりどりのテントが設置。ヒュッテ内には、東大の診療所もある。
登山好きの先生がいるようだ。暗くなるまで、まわり散策したり、穂高連峰を飽きずにみたりして
過ごす。この時間でも、前穂高岳から奥穂高岳間の釣り尾根を歩いている登山客が見えた。
部屋に戻ると他の同部屋の人たちもいた。本来なら1区画4枚のフトンに6人で寝るのだが、
空気が薄いせいか、疲労のためか、田山さんとフトンを1つづつ占拠し、他の方たちは、
2つのフトンに4人で寝ていた。(翌日、冷静になってみて迷惑をかえたことがわかった (^^♪ )
しかし夜は、大変だった。疲れているのに、体(脳)が興奮しているようで
(たぶん、色んな景色を見たり新しい経験をしたり)スパット寝れない。おまけに部屋は、
おもった以上に暑く(たぶん人が多いから)、最初ズボンとフリースで寝ていたがシャツと
パンツ1枚で寝た。おまけに、同部屋の1吊のいびきがメチャメチャうるさい
(おまけに無呼吸症候群なのか時々、息が止まるので “大丈夫か”といらない心配をしたり)
で中々寝付けない。0時30分ぐらいまで時計を見ていたが、そのあとは朝だった。
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